ヒストリー ジニアスとの出会い
GENIUSとの出会い、と今に至るまで
1989年、レースを始めるために中型免許を取り、サッカーをしていたため当時の吊るしではサイズが合わず、他メーカーのフルオーダーも見積もりに行くが、内容と価格が合っていないと感じ、知り合いにGENIUSを紹介していただきお客としてGENIUSの暖簾をくぐる。
プロを目指していた当時、仕事を創立者に紹介していただき、仕事終わりに報告がてら毎日仕事場にお邪魔するようになり、毎日来るならネーム切りのバイトをすればと勧められ、そこからツナギを作る事にかかわることとなる。
後から聞いた話だが、仕事を見る目が興味ある眼をしていたらしい。
レース活動では Team GENIUS を名乗り、国際A級にはなるものの、レースでは生計が立てられるものではなかったため、活動を止め1994年シーズン終わりに本格的に弟子入りを志願する。
レース活動をしていた時、レース結果が散々なものであったためレース結果の報告をしなかったときがあった。
ものすごく怒られた記憶がある。
結果ではなく、無事に終われたかの報告をしなさいと。
一緒に戦って無事を祈ってくださっているのだと感じた。
ツナギ本体だけでなく、気持ちでも守られているのだと・・・
こんなこともあった。
機能も見た目も特徴的なGENIUSのツナギ。
特許など取らないのかと冗談で尋ねた事があった。
創立者 
『世に出たもので真似されると言う事はいい物だと認められた証拠。 真似されればそれ以上の物を作ればいい。』
仕事や人間性、考え方などを横で見ていて、この人の下で同じ仕事をし、私と同じ思いをユーザー様に感じて欲しいと思うようになり、弟子入りを志願したのだが・・・
断られる。
理由は  『世間も見て来い!』
だった。
言われたとおり正社員として塗料会社に就職。
そのときに色の勉強をし、現在のほとんどの革の色は私が調色し決めたものである。
就職から2週間後、創立者急死。
当時、創立者とその妹さん、そしてバイトの私の3人でツナギは作っていた。
創立者の急死に伴い、GENIUSの看板は下ろすと妹さんが決める。
しかしユーザーさんが何人も続けて欲しいと直談判に来る。
3,4ヶ月製作はしていなかった。
バックオーダーが数着有ったのだが皆さん返金を断られ、バックオーダー分だけでもと2人で製作をする。
廃業と言う噂が広がっていたが新しいGENIUSのツナギが世に出たため、作って欲しいと言うお客様が次々と来られ、2人で何とか作れそうだったので営業再開。
以降ぼちぼちではあるが製作を続ける。
2003年、二代目の妹さんから看板を渡され三代目として独立。
実はそのとき、型紙を裁った事がなかった。
教えてもらえなかったのだ。今ならば教えてくれなかった理由もわかるのだが・・・
『見ていたのだからわかるはず!』
172cm 62kgの1着分の型紙を渡され、
私のサイズを測ってもらい、自分のツナギを作る。
何日寝なかったのか・・・
必死で作った。創った。
自分のライダーとしての経験と、現役だったレースの師匠に着ていただき、
走ってもらい改良点を指摘、改良、また指摘、改良・・・
何度バラし、組み上げたのだろう。
当時のことはあまりはっきり覚えていない。本当に必死だった。
そのときの経験が今も型紙創りに生きている。
キャドで作る型紙とは違い、常に私のエッセンスが全ての型紙に入っている。
主に乗るバイクを聞き、採寸しながらライダーさんの体系、好みなどを感じ、
他メーカーでは出来ない1着に仕上がるように、常にライダーさんの事を考えながら
1着1着妥協せず今も創っている。
 

参戦初期の写真

完成したツナギと
 

独立。ここからスタートした

作業スペースも今より狭い
そして今に至る